原爆
原爆使用の是非について戦後いろいろと語られてきました。
私は、どんな理由であれ原爆の使用は正当化されてはいけないと考えます。これは全人類共通の普遍的原理として世界が共有すべきことです。一旦原爆の使用を認めると、将来必ず大義を掲げて原爆使用を正当化する輩が出てきます。その意味で、日本は原爆使用を絶対に認めてはいけないのです。それは、単に原爆を投下したアメリカを批判するということではなく、普遍的原理として、理由に関係なく手段として原爆を使用することそのものが過ちであることを認めさせることです。
アメリカが広島、長崎に原爆を投下した理由と、原爆使用の是非を一緒くたに考えてはいけないと思います。日本が原爆の使用を少しでも認めた時点で、正当化への道ができ、現存する核兵器保持の必然性が出てきます。核兵器の存在そのものを無意味なものにするためにはただ一つ、如何なる理由であっても使用の正当性は全く無いものだという国際的、道徳的規範を作り上げることです。
広島の「安らかに眠って下さい/過ちは/繰り返しませぬから」という文面を刻んだ原爆慰霊碑には率直に違和感を感じます(アメリカが言うのならわかりますが)。
二度と使わせないための世論づくりの責任は、唯一の被爆国日本にあります。被爆した日本が原爆投下を認めたために、核兵器が使用可能兵器として拡散してきたと非難されないようにしなければなりません。
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コメント
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原爆・水爆を使用することは、使用した国も含めて最後には地球が滅びる事になります。 宇宙の広さ、歴史から眺めてもほんの小さな星、ほんの一時の歴史かも知れませんがそこに魂を得て同じ星で暮らす我々は、1つで一つの街を丸ごと消滅させてしまうような兵器を開発する事がどれほど無駄な事か。 それぞれの人、国、地域がそれぞれの宗教感を持っておりますがどの宗教をもってしても正当化できないはずで、核兵器の拡散に歯止めをかけられるのが被爆国の日本。 一旦法規制が緩むと、日本の製造技術が核兵器を製造するために使われるようになることも予想されます。 何の為の教育なのか・・・
記事を拝読し、上のような事を考えてしまいました。
投稿: ぼちぼち村長 | 2017年5月26日 (金) 14時10分
ぼちぼち村長 様
早速のご投稿、ありがとうございます。書きにくいテーマで、なおかつ何を言いたいのやらわからん文章では、コメントしずらかったかと拝察いたします。
以前から、賛成、反対のみの議論にはどうしても納得できず、あれあれと考えてきましたが、何となくこうなんかなと落ち着いた先が上記のブログです。日本は、国際貢献も大事ですが、その前に基本的に世界に対して明確にすべき意思があると思います。日本の意思がはっきりしないと、かの隣国の方々も日本を信頼しずらいのではないかと思ったりします。
投稿: 浪速の読書人 | 2017年5月26日 (金) 14時51分