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2017年5月

2017年5月 9日 (火)

原爆

 原爆使用の是非について戦後いろいろと語られてきました。

私は、どんな理由であれ原爆の使用は正当化されてはいけないと考えます。これは全人類共通の普遍的原理として世界が共有すべきことです。一旦原爆の使用を認めると、将来必ず大義を掲げて原爆使用を正当化する輩が出てきます。その意味で、日本は原爆使用を絶対に認めてはいけないのです。それは、単に原爆を投下したアメリカを批判するということではなく、普遍的原理として、理由に関係なく手段として原爆を使用することそのものが過ちであることを認めさせることです。

 アメリカが広島、長崎に原爆を投下した理由と、原爆使用の是非を一緒くたに考えてはいけないと思います。日本が原爆の使用を少しでも認めた時点で、正当化への道ができ、現存する核兵器保持の必然性が出てきます。核兵器の存在そのものを無意味なものにするためにはただ一つ、如何なる理由であっても使用の正当性は全く無いものだという国際的、道徳的規範を作り上げることです。

広島の「安らかに眠って下さい/過ちは/繰り返しませぬから」という文面を刻んだ原爆慰霊碑には率直に違和感を感じます(アメリカが言うのならわかりますが)。

 二度と使わせないための世論づくりの責任は、唯一の被爆国日本にあります。被爆した日本が原爆投下を認めたために、核兵器が使用可能兵器として拡散してきたと非難されないようにしなければなりません。

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