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2015年11月

2015年11月 6日 (金)

『やってはいけないこと』はやってはいけない!

 杭打ちデータ流用事件で思ったことがあります。最近はちょっと振り返ってみただけでも、肥料データ偽造、耐震ゴム強度偽造、エアバッグクレーム対応問題、構造設計書改ざん問題、自動車のクレーム隠し問題やなんやらと、企業が起こす不祥事件がやたらと目に付きます。共通することは、内部統制システムの欠如とかあるかとは思いますが、事の性質が偽造したり流用したり改ざんしたりと、企業や社員に決定的に基本的モラルが欠けていることです。ではなぜこんなにもモラルが欠けてしまっているのでしょうか? 遡っていけば、結局教育問題に行きつくのではないかと思っています。

 実際に手を染めた直接の当事者、それに加担した者、知っていても何も咎めなかった人、直接ではなくても暗にプレッシャーをかけた上司、それを暗に認め受け入れてしまう企業体質・・・。やってはいけないと知りつつもやってしまう、この歯止めが利かなくなった体質の根本は、今まで体に沁み込んでいた「やってはいけないことの境界線」がなくなってしまったからではないでしょうか。

昔、親や周りの人たちからよく言われたこと曰く、

・父親

 「そんなことをして恥ずかしいと思わないのか!」

・寅さん

 「それをやっちゃあ おしめぇだよ」

・母親

 「誰も見ていなくても お天道さまは見ているのよ」

・同僚

 「あんたがやっていること、子どもに言える?」

 これらのフレーズに共通することは、元々私たちには一線を超えてはいけないルール(規範)というものが体質として沁みついていたと思うのです。それを大人たちが日常生活の中でうるさく優しく教えてくれたものでした。これが消えてしまいました。なぜでしょうか?

 戦後教育の自由に対するはき違い指導、それと道徳教育をしてこなかった罪があると思います。又、日本に連綿と続いていた武士道精神(恥の文化)が忘れられてきたことが挙げられると思います。

 いまこそ日本人の精神的原点に立ち返り、まともな大人になるために、やってはいけないことは厳しく教え体に叩き込む教育を復活しないと、同じ事は再び繰り返されるでしょう。行政や先生だけに頼るのではなく、親が率先して躾け、自治体(隣り近所)にそうした「やってはいけないよ!」をきちんと言える風土を作っていかなければならないと強く感じます。強い自戒を込めて・・・。

 関連して、宮本常一著の「忘れられた日本人」を思い出しました。名著です。

以上

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