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2015年9月25日 (金)

国立競技場建設問題

 国立競技場の建設が白紙に戻り、決定の経緯についていろいろと議論されていますが、今回の件に限らず、行政の意思決定のありかたに率直に疑問を感じます。

 縦割り行政の典型的な欠陥でしょうか、関係省庁・組織が複数あって、それぞれの部門が管轄範囲内でのみの限定した意志表示しかしないため、部分ではなく全体としての結論が、特定の責任者によって決められないという構造的な問題があります。今回でも、結局誰が最終的に意思決定したのかという問いに応えられませんでした。これは、隠しているのではなく、そういう決め方(責任を取らない決め方)をしてきているからです。

 最近、山本七平氏の『「空気」の研究』という本に接しました。

責任の所在がはっきりしない、物事が決まった経過が良く分からない、なんとなくその場の雰囲気が物事を決めてしまう、その場の空気に支配されるなどなど、日本独特の現象を解き明かしている名著だと思います。この中で、戦時中の軍参謀本部の意思決定もまさしくこの空気の中で決められたことが書かれています。戦艦大和の沖縄戦への無謀な出撃なども、無理だと内心分かっていてもその場の雰囲気では、誰も反対できなかったと言うことで実行された由。結局、だれが決めたのかは誰も分らない状況だったそうです。南京攻略の意思決定も、誰が最終決定者かあいまいだったそうです。


 戦時の意思決定手法が現在も連綿として引き継がれているのです。これは、或る意味恐ろしいことです。


 今回の問題で解決すべきは、責任者の辞任ではありません。そもそも誰が決めたのか分からないのに、建前上の責任者を首にしても何の問題解決にもなりません。縦割り行政の組織構造にまで立ち入って真の原因追求と、原因解決のための組織の立て直しをしないと、日本の抱えている構造的問題は解決しないと思います。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

言葉柔らかく、それでいてビシッと核心に触れるいつものご投稿、大変勉強になります。

この件、自分なりに例えて考えました。
車のエンジンを作る人、タイヤを作る人、ボディーを作る人とそれぞれ言われた通りの仕事はしたのかもしれないけれど、その車の注文者は誰なのか・・・  既製品を作ったわけではなかった筈なのに。

自分の駐車場の敷地、使う用途を考えもせずに人が注目する様な車を買わなきゃ~と、ただ斬新なデザインの車なので注文したら納めるスペースが無かった。 仕方なく、車を小さくしてフツーのデザインに切り替えて最初のメーカーへの注文をキャンセル。 別のメーカーに頼むと、ラグビーを観たあと、オリンピックを見に行く予定だったのに、ラグビーには間に合わない・・・なんて。 オリンピックも間に合う?  

とんだ事になり、発注者は「僕じゃない」と言ったり「メーカーはわかってると思ってた。」とか訳わからない事を言う。 恐らく裏側では、「だから俺は反対したんだ!」と言っている人がいるのでは? はっきりディベートしていないくせに・・・

発注者や請負業者の責任者が変わることにより、注文をキャンセルしたりデザイン変更したり、あるいはスペックだったりすることもあるけれど、どこかの県のように前職がOKした工事を現職が「私は認めない」と言ってもめる事もある。 もともとは議論が尽くされていなかったり、情報精査が不十分だったり、関係者を説得できていなかったから起こることもありますよね。 

どんどん、投稿をお願いします。 楽しみにしています!! 

ぼちぼち村長 様

 いつもご投稿ありがとうございます。一人でも読者がいると書いた意義があります。見てくれる方が一人でも増えればいいなぁと思っているこの頃です。
 「空気の研究」、読書履歴に抜き書きをアップしました。私にとっては目からウロコものでした。いくつになっても新しい発見があるのはワクワクします!!
ありがとうございました。

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