国立競技場建設問題
国立競技場の建設が白紙に戻り、決定の経緯についていろいろと議論されていますが、今回の件に限らず、行政の意思決定のありかたに率直に疑問を感じます。
縦割り行政の典型的な欠陥でしょうか、関係省庁・組織が複数あって、それぞれの部門が管轄範囲内でのみの限定した意志表示しかしないため、部分ではなく全体としての結論が、特定の責任者によって決められないという構造的な問題があります。今回でも、結局誰が最終的に意思決定したのかという問いに応えられませんでした。これは、隠しているのではなく、そういう決め方(責任を取らない決め方)をしてきているからです。
最近、山本七平氏の『「空気」の研究』という本に接しました。
責任の所在がはっきりしない、物事が決まった経過が良く分からない、なんとなくその場の雰囲気が物事を決めてしまう、その場の空気に支配されるなどなど、日本独特の現象を解き明かしている名著だと思います。この中で、戦時中の軍参謀本部の意思決定もまさしくこの空気の中で決められたことが書かれています。戦艦大和の沖縄戦への無謀な出撃なども、無理だと内心分かっていてもその場の雰囲気では、誰も反対できなかったと言うことで実行された由。結局、だれが決めたのかは誰も分らない状況だったそうです。南京攻略の意思決定も、誰が最終決定者かあいまいだったそうです。
戦時の意思決定手法が現在も連綿として引き継がれているのです。これは、或る意味恐ろしいことです。
今回の問題で解決すべきは、責任者の辞任ではありません。そもそも誰が決めたのか分からないのに、建前上の責任者を首にしても何の問題解決にもなりません。縦割り行政の組織構造にまで立ち入って真の原因追求と、原因解決のための組織の立て直しをしないと、日本の抱えている構造的問題は解決しないと思います。
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