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2015年7月

2015年7月31日 (金)

「有事」と「想定外」

 現在、国会では有事法制についての議論が活発に行われています。とある一日、ずっと聞いていましたが、なんしかピンときません。的が外れているのか、平和ボケしている国会なのかよくわかりませんが、私は「いざという時の備え」は当然のこととして日頃から準備しておくべきと考えています。国会には、ぜひ「どう備えるか」の議論を戦わしてほしいと思います。

 日本人は島国でもあることと鎖国時代が長く続いたせいか、明治開国以来、外からの脅威があって始めて動き出すという感覚が身に沁みついているようです。精神的鎖国状態とでもいうのでしょうか。でも、いざという時の備えをしなかったための事故は東北大震災で実際に経験したのです。あり得ないことが起ったのです。今までの原発に対する考え方は、行政の安全神話の中で運営され、万が一のことは「想定外」として考えないようにしようと避けてきました。でも、その万が一が起ってしまいました。有事も一緒だと考えます。「どこも攻めてなんか来ないよ」とか、「憲法9条があるから大丈夫」とかこちら側の都合だけで決めつけてしまっていますが、争いはむしろ相手の都合から起こります。拉致、テロ、領土問題、サイバーテロ、海洋覇権争いなどなど、平和時にはない戦いが理屈抜きでいきなり起こります。いや、もうすでに起こっています。

 なぜ、日本人は普段からいざという時の備えができないのでしょうか。そう言えば、昔は家の鍵も閉めずに暮らせたものですが・・・。世界と共に共存していくためには、世界標準の暮らし方を身に着けないと、気が付いたら身ぐるみ剥がされていることになるのでは、と、国会審議を聞いていて思いました。

 尚、この意見は、現在審議中の安保法制のどちら側の見解にも与するものではありません。

ありがとうございました。

2015年7月29日 (水)

先生の顔が見えない

 いじめに関する事件は毎日のように報道されていますが、今回の岩手県矢巾中学校でのいじめによる自殺事件でさらに強く思ったことがあります。以前からも常々感じていたのですが、いじめが実際に行われているのは教育の現場であり、その現場にいるのは先生です。その先生の顔がメディアには一切出てこないのです。何故でしょうか。メディアは先生を被告人的な扱いでインタビューしようとするから日教組なり教育委員会が匿うのでしょうか。それとも先生自身の意志で逃げているのでしょうか。

 自殺という事実を目の前にして、校長なり教育委員会が代弁しているのが気に入りません。正々堂々先生が前に出て、自分のやってきた教育指導と生徒の評価をきちんと先生の言葉で言うべきです。もちろん、メディアは被疑者的な扱いでインタビューしたりすることは厳禁されなければなりません。ここが正常化されないと教育の改革は全く進まないと考えます。

 昔のことを言っては何ですが、子どもの躾は家庭の責任で、学校で秩序を乱す者に対しては、先生が懲罰的教育指導をするのは当たり前でした。親も、先生には「うちの子が悪いことをしたらどうぞびしびし叱ってやって下さい」とむしろお願いしたものです。先生と生徒の関係が上下関係から水平の関係になってからおかしくなったような気もします。人間の基本的人権は平等だとは思いますが、子どもには子どもの人権、大人には大人の人権と、それぞれ価値と内容は全く違います。これを同一視してしまうと、判断力のついていない子供が権利の意味を誤解して濫用してしまいます。

 最近、やっと道徳の授業を再開するようですが、知識の教育より以前にその前提となる人づくりが喫緊の課題だと思えてなりません。

 それと繰り返すようですが、メディアの報道の画一的な横並びの偏りにもの凄い疑問と不満を禁じ得ません。

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