無料ブログはココログ

« 『司馬遼太郎記念館』再び | トップページ | いじめと尖閣問題 »

2012年3月17日 (土)

さようなら『ブルートレイン』

 Cimg5140 青森から大阪まで走っていた寝台特急「日本海」が、ダイヤ改正により3月16日で終了した。この列車には私も熱い思い出があり、人生のエポックメイキングとなった列車である。
 
昭和45年3月30日、北海道 屈斜路湖畔の町、実家があった弟子屈町を出発して札幌  函館 ~(青函連絡船【写真は摩周丸】)~ 青森 ~(「日本海」)~ 大阪 と、足掛け3日かけて就職の為、青森から寝台特急「日本海」に乗った。
 
当時は北海道もまだまだ雪深い季節で、弟子屈は雪がメートル以上積もっていた。帽子と手袋をし、オーバーを着、内側が毛で覆われたスパイクの入った防寒靴で出発。大阪まで行くのは就職試験以来で、生活するのもむろん初めてである。
 
就職が決まった時、周りからは「お前みたいな奴は、関西に行ったらイチコロで食われるよ」とか「すぐに騙されるわ」とか言われて脅されたものである。当時は、「細うで繁盛記」とか「どてらい奴」「しぶちん」とかの番組をやっていて、子供心に「大阪って怖いな」と思っていた。
 
札幌から青森までは、さほど季節の差は感じることもなく「日本海」に乗り込んだ。確か、青森を夕方に出発して翌日の朝9時ごろに大阪に到着したと覚えている。私が一番驚いたのは、大阪の季節だった。何の予備知識もなく、ただバッグ一つで集団就職のようにして大阪駅へ着いてみたら、何と、サラリーマンは皆ワイシャツ1枚で歩いており、桜がそちこちに咲く季節になっていたことである。当の私は、北海道から出てきたので完全な防寒仕様。小さい日本と思っていたが、こんなに季節の差があることに驚いたものである。
 
昭和45年は、ちょうど大阪万博が開催された年で、高度成長真っ只中での就職だった。大阪はスモッグがひどく、北海道から出てきた私は目がかすんだように見え、喉を傷めた覚えがある。
 
そんなこんなで40有余年、ブルートレインと共に私も今日まで育ってきた。そういう意味では、ブルートレインとは同時代を生きた同志のように親近感を覚える。
 
「日本海」よ、長い間お疲れ様、ありがとう!

« 『司馬遼太郎記念館』再び | トップページ | いじめと尖閣問題 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

河部さん
先般メールでご連絡していました、松尾です。福井での生活ご苦労様です。私も名古屋から米原経由で時々出張してました。当地ではおそばがおいしかったのが印象で、芦原温泉にもいきました、機会がありましたら足をのばしてみたら。闘病日記について大変興味深く拝見させて頂きました。又おしえてください。

松尾

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: さようなら『ブルートレイン』:

« 『司馬遼太郎記念館』再び | トップページ | いじめと尖閣問題 »

最近のトラックバック

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31