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2010年3月19日 (金)

密約その2

 東郷和彦元条約局長が、密約問題で国会に呼ばれているようですが、ご本人の著書『北方領土交渉秘録』に、この当時の交渉について父の東郷文彦氏の話が載っていました。

 密約の是非を、今の時代感覚で評価しようとする与党とメディアの姿勢には違和感を感じます。今日の平和と安定を顧みるとき、当時のきわどく厳しい交渉過程の文脈の中で、この「密約」なるものも評価しないと、後世にも誤った歴史認識を植えつけることになるのではないかと危惧します。

以下、著書より

 一九六九年十一月、沖縄返還交渉において最も難しい関門だった核問題の処理にあたって、当時の外務省条約局と北米局はあらん限りの知恵を絞って、「総理大臣は、核兵器に対する日本国民の特殊な感情及びこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、大統領は、深い理解を示し、日米安保条約の事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく、沖縄の返還を、右の日本政府の政策に背馳しないよう実施する旨を総理大臣に確約した」という記述を捻り出し、それを佐藤・ニクソン共同声明第八項に盛り込んだ。

 極東にいったん事があったときに、極東の平和を保つためには場合によっては核の再持ち込みが必要なケースがありうるとする米国の立場と、非核三原則という国の方針からしてこれを認めないという日本の立場を踏まえてなお、いかにして双方が納得のできる表現を考えるか、それが、「事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく」「右の日本政府の政策に背馳しないよう」という表現になった。

 当時、北米局長を務めていた父、東郷文彦によれば、この案文は「我が方、条約局の苦心の作」ということだったが、同時にこの表現を見出せたことが、沖縄返還の道筋を拓いたと言っても過言ではない

敗戦国が、被占領地沖縄の無血返還を交渉によって勝ち取るために、先方の要求と国民の核アレルギー、そして左翼イデオロギーの扇動運動など、全てを飲み込んで結果として合意をした交渉当事者は、大変だったと思う。この交渉過程で「密約」なるものが存在したということになっているが、交渉を妥結させるための手段としては最も効果があったのではないだろうか。

なぜ、時の総理大臣がノーベル平和賞を受賞したかを冷静に歴史として判断しても良い時代になってはいないだろうか。

北方領土返還交渉と比較すると見えてくるものがある。

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